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南知多とは知多半島の南部東海岸にありては武豊町以南西海岸にありては常滑町以南の総称であります、この南知多は山と海とに恵まれ雄大なる景観を備へ最近各地に温泉の湧出を見て四季の遊覧として且又史跡に富み、夏涼しく冬暖かばかりでなく、春は海岸各地の魚釣「颯爽としてハイキング」を始め知多新四国弘法大師霊場めぐりは名古屋市を中心として近縣各地より数十万の参詣者あり南知多をして参詣者で万里の長城を描く盛況振りである。
夏は南知多沿岸各地は水清く砂白く遠浅で理想的海水浴場多く浴客殺到し中部日本第一の海水浴場として知られています。その外南知多内海には世界稀れに見るサンドスキー場あり雪と変わらぬ動作が出来ていつでもスキーの快味が味わへるので有名なのと雪の準備のトレーニングに好評を博してゐる。秋の沿岸各地の魚釣、南知多坂井、野間、内海温泉の湧出で一段と観光客の激増を見ることゝなった。
交通としては大府より武豊駅下車南知多行バス連絡、名古屋よりは名鉄神宮前より東海岸では河和駅下車南知多行バス連絡と西海岸常滑下車南知多行バスの連絡との二方で何れも快速電車と優秀なる観光バスの連絡ではあるが、賃金と時間と回数は名鉄神宮前より河和駅行の方が便利である、海路としては愛知商船が蒲郡より=鳥羽二見より=福江より南知多師崎港へ定期船の連絡あり交通至便である。
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裏表紙の地図
「汽車」というのが国鉄→JR東海、太田川~河和の「電車」は知多鉄道という会社が運行していたが、戦時中に名鉄に併合される。
「知多バス」、「野間バス」、「小鈴谷バス」は他のバス会社も含めて戦時中に統合され、名鉄の子会社の「知多乗合」となった。名鉄戦争で丸儲け・・・。まあ他の大手私鉄もみんな同じことだが。
武豊~小鈴谷の路線は名鉄知多新線が出来た影響なのか現在は無い。武豊~河和も無くなって、武豊町には路線バスが全くなくなってしまった。コミュニティバスを走らせようかという動きもあるようだが、どうなることか。
美浜・南知多で存続している路線も、概ね大赤字で存亡の渕に立たされているようだ。採算悪化→値上げ→客離れ→採算悪化→値上げ→一層の客離れ→・・・・・
別のページにあった、名所がもう少し多く書いてある地図。
知多武豊~河和口の間の駅は布土駅、河和口~河和の間は時志駅。時志駅は1944年に休止、布土駅はつい最近の2006年に廃止される。両者ともに駅の設備は全て撤去されて跡形もなくなってしまった。
この地図に書かれている名所で現在無いのは「砂スキー」とある内海のサンドスキー場のみ。このサンドスキー場は当時「世界一」と盛んに宣伝されていたのに、今はどこにどういう形であったのかもはっきり分からない。この冊子の「内海」のところで紹介してあるので、そちらを
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